【ギフト好き必見】九谷焼の湯呑みで知る!伝統品の美と焼き物の歴史

【ギフト好き必見】九谷焼の湯呑みで知る!伝統品の美と焼き物の歴史


今や石川県(金沢)内のみならず日本を代表する伝統工芸品(焼き物)「九谷焼(くたにやき)」!!

国内における歴史の深さや知名度では有田焼(伊万里焼)の方がちょっとだけ上回るものの、今や九谷焼は経済産業大臣指定の伝統工芸品に認定されたり、英国チャールズ皇太子のご成婚祝い品(献上品)として選ばれてきた経緯もあり「JAPANを代表する高級ギフト」としての地位を確立している芸術作品です(ただ九谷焼がよく有田焼(伊万里焼)と比較される理由として、磁器であることが挙げられるようですが、九谷焼は「陶磁器ブランド」なので、陶器も磁器を生産しているようです)!!

今回の記事では、その国内外を問わず(世界で選ばれている)高級ギフト「九谷焼」に関する「特徴」「簡単な歴史(九谷焼ブランドの成り立ちとは如何なるものか?)」そして「通販サイト(インターネットショップ)で良質な九谷焼を購入できるおすすめサイト」に関して、簡単にご紹介していきたいと思います^^!!

九谷焼(くたにやき)は、石川県南部の金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器である。

宮内庁より贈答品として使用され、また英国チャールズ皇太子御成婚祝としても献上されるなど、諸外国の著名な方々にも広く愛用され親しまれています。

そもそも九谷焼ってどんな焼き物?具体的な特徴ってある?歴史を知り「金花詰」の湯呑みを見ながら学んでみよう!

九谷焼とは何なのか?いったいどんな焼き物なのでしょうか??

九谷焼というのは「過去から現在に至るまで九谷で作られている焼き物」のことです!その九谷という地名は江沼郡九谷村という場所を指してますが、現在では九谷焼というのは石川県(金沢市・能美市・加賀市・小松市など)で作られる焼き物の総称を指す意味合いとして捉えられるようです!!

九谷焼の特徴ですが、見た目カタチではなかなか判断できなかったりします!後ほどご紹介します「金花詰(きんはなつめ)」という金彩の模様で美しい花柄を描いた焼き物作品は九谷焼の中でも有名なブランドですが、その色模様が大きな特徴というよりも「その焼き物が九谷(石川県)で作られたのかどうか??」という点が作品自体の主な特徴となっているようです^^!!

また、これも少しだけ以下に述べてますが「九谷焼のルーツは九州の有田焼(伊万里焼:有田焼は伊万里の港から海外へ輸出されていたので有田焼は伊万里焼とも呼ばれる)」とされているようです!加賀藩のお侍、前田家の命で後藤才治郎という人物に有田へ留学させて、有田焼の技術を修得させて再び九谷村で焼き物を作らせたのがそのルーツとされています!なので、有田焼も九谷焼も焼き物としての特徴は似ているのかもしれませんね!!

その後も色絵の陶磁器として豪華絢爛な作品を生み出してきた九谷焼ですが、有田焼とちょっと違う所と言えば「有田焼が磁器(主に石を材料にして作った作品)の焼き物としてのイメージ」が強いのに対して九谷焼はその名で「磁器も作り、陶器(主に土を材料にして作っている作品)も生み出しているというイメージ」が強いようです!!

なかなか、歴史的にも縁が深い有田焼と九谷焼!!その九谷焼という伝統的な日本の焼き物に関して、現地(九谷・石川県)では具体的にどんな模様の作品がこれまで生み出されてきたのか??以下で簡単にご紹介していきます^^!!

九谷焼とは石川県(金沢市、小松市、加賀市、能美市)で主に生産される伝統的工芸品です。

九谷焼は、日本を代表する色絵陶磁器です。その特徴であり、最大の魅力は「上絵付け」です。
「上絵付けを語らずして九谷はない」と言われるほど、色絵装飾の素晴らしさは、豪放華麗です。

九谷焼は、陶器も磁器も両方あります。上絵付けを九谷でしたものを「九谷焼」としています。
陶器・磁器では使い方や扱い方の違いがあります。その性質と見分け方を知っていれば、九谷焼選びが数段充実するでしょう。

九谷焼の湯呑みも生まれて既に350年!そのルーツは「有田焼(伊万里焼)」に!今や日本を代表する「九谷焼」の深い歴史とは??

九谷焼の歴史が始まったのは今から約350年前の1655年頃と言われています!加賀藩(石川県の武家)の中でも特に茶人(さじん:茶道を好み、そのに通じた人)で知られていた前田利治(前田利常の三男で前田利家の孫)が、九谷村で陶石(陶磁器を作る際に原料となる岩石)が見つかったことを聞きつけ、それを機会に焼き物作りに取り組ませたとされています!!

まず、利治は加賀の藩士だった後藤才次郎を(佐賀県)有田へ向かわせ「磁器作りの技術習得(陶技)」のために派遣させました!後藤が有田で磁器作りの技術を習得して加賀に戻ってきたことがきっかけとなり「磁器作り用の窯」を九谷村で開かせました!この頃ここで作られていた焼き物を「古九谷焼」と呼んでいます!

その九谷窯は約100年後の1730年ごろに閉鎖(廃窯)されてしまったそうですが、廃窯後の再び約100後に九谷村での焼き物作りは復活します!どうやら江戸後期に瀬戸で磁器産業が成功したことによって、加賀でも焼き物を作ろうという話になり、実際にその試みは成功したようです!それ以後九谷で作られている焼き物(九谷焼)は「有田焼の伝統技術から作成技法を学び作られてきた焼き物」から彩色金襴手(模様の色絵に金箔または金泥で金色を施した技法)まで自分たちで生み出してきた加賀(石川県)の伝統工芸品として、存在感のある地位を築いてきたんですね!!

具体的には、国内から世界へ!明治期以降は多くの九谷焼作品が海外へと輸出されるようになりました!明治6年(1873)には遂にウィーン万博で九谷焼が出展され「ジャパンクタニ」という名のブランドが世界の芸術家たちに知れ渡るようになりました!その人気と勢いの流れは現代でも止まらず、宮内庁より贈答品として選ばれ、また英国チャールズ皇太子の御成婚献上品へと選ばれるなど「日本を代表する焼き物」としての地位の一角を担うことになりました!!

九谷焼の歴史は江戸時代の初期、1655年ごろ当時加賀支藩の大聖寺藩初代藩主であり、茶人であった前田利治が九谷村で陶石が発見されたことを機に始めたと言われています。藩士の後藤才次郎を備前有田(佐賀県)へ磁器の技能習得のために派遣、九谷に窯を作りました。しかし、この九谷窯は1730年ごろ、急遽閉鎖されます。その理由はわかっておらず、九谷のミステリーであるとされています。この時期に製造されたものは古九谷(こくたに)と呼ばれています。

九谷焼は、明暦元年(1655)に、加賀藩の命により、有田で陶技を学んだ後藤才治郎が、江沼郡九谷村で開窯したのが始まりです。
しかし、わずか100年たらずで廃窯。原因はいまだ定かではありませんが、この間に焼かれたものを、現在「古九谷」と呼んでいます。
廃窯後100年は、日本の陶器といえば伊万里焼でした。ところが、江戸後期に、瀬戸で磁器産業が成功したことをきっかけに、加賀でも、春日山焼や若杉焼が作られ始めました。
さらに、その若杉焼が成功したことで、かつて古九谷を生み出した大聖寺藩でも、古九谷再興の動きが強まりました。その中心人物が、大聖寺の豪商、吉田屋伝右衛門だったのです。文政六年(1823)、九谷村の古九谷窯跡の横に登窯を築き、翌年、九谷焼を焼き始めました。

明治時代に入ってからは、九谷庄三(くたに・しょうざ)の彩色金襴手が有名となり、大量の九谷焼が海外へ輸出されました。そのきっかけとなったのが明治6年(1873)のウィーン万博です。「ジャパンクタニ」として九谷焼の名が一気に広まりました。作品は豪快かつ色調渋く独特の魅力があり、柿右衛門、色鍋島、仁清と並んで、日本の色絵陶磁の代表的なものとなっています。

九谷焼の有名ブランド「金花詰(きんはなつめ)」による湯呑みとは??

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